2010年11月
11/27(土曜日)
「第一報を受けた後、官邸の初動はどうだったの?」という質問にお答え。当日の事実経過から現在の体制までを、淡々と時間順に並べます。
1.初動
11月23日午後2時34分、北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃が始まった。
3時10分すぎにこれを知った日本政府は、韓国・中国・米国・ロシアで情報収集を開始。3時20分には首相官邸に情報連絡室が設置され、情報の確度が高まった3時半頃、公邸にいた菅総理に秘書官から一報を入れた。
総理の公邸は、官邸と同じ敷地内にあり、いわば一体となった執務機能を持っている。この公邸内で、総理は執務をしながら情報収集。同時に、隣接する官邸側では、総理の指示を受けた当直の危機管理担当者に加え、各部署のスタッフが次々に駆けつけ、対応を進めた。北朝鮮情勢は非常に複雑・不透明で、不確かな情報で我が国が方針を決めたり態度を表明することは、当然すべきでない。関係者を一堂に集めた協議は、当事国の韓国から十分な判断材料を得た上で、1時間余り後の午後4時45分から行うこととなった。
しかしこの間も、様々な案件への対応をストップするわけにはいかないのが、総理大臣。合間をぬって、国会関係者との面会など、当初の予定も並行して処理しながら、情報収集は続いた。
2.指示、発言
そして、予定の4時45分。菅総理は、それまで執務していた公邸側から、徒歩1分の官邸側に移動。仙谷官房長官、古川副長官らも揃い、危機管理監や外務省・防衛省関係者などから総合的に情勢を聴いたあと、あらためて、「情報収集に全力を挙げること」「不測の事態に備えて万全の体制をとること」を指示した。
協議終了後直ちに、総理は5時10分頃から報道陣の取材に応じ、この指示内容を国民に説明。どこの国よりも早い、トップによる直接の発言となった。この後、毎年総理大臣が出席する重要な宮中行事「新嘗祭」へ。随行秘書官からいつでも情報が入り必要な指示を出せる体制での出席となった。
この間も、仙谷官房長官や3人の副長官などが官邸に詰め、防衛大臣など幅広い政府関係者が出入りして情勢分析は続いた。7時10分には韓国大使を官邸に呼び、その1時間余り後には、ソウルでも駐韓日本大使が韓国政府の外交通商部長官と会談。同じ頃、ワシントンでもホワイトハウスや国務省から情報収集するなど、日韓・日米は密接に連絡を取り合った。
3.政府見解
そして、夜8時半。皇居から官邸に戻った総理は、その15分後、官邸で関係閣僚会合を開き、政府見解を取りまとめ。この席で総理は、(1)北朝鮮の今後の動向などに関し、情報収集に努める (2)韓国・米国等と緊密連携し対応する (3)不測の事態に備えるなど、国民の安全・安心の確保に万全を期す――の3点を指示した。
引き続き9時48分、仙谷長官が政府見解を発表。
「北朝鮮を強く非難する。」
「韓国政府の立場を支持する。」
「このような行為を直ちにやめるよう求める。」
「関係国と緊密に連携して対応していく。」
翌24日。菅総理は、韓国大統領と電話で20分にわたり会談した。この中で李明博大統領は、「日本の迅速で力強い対応に感謝」を表明。また前原外務大臣も、24日は韓国外交通商部長官、25日は米国のクリントン国務長官などと電話で相次ぎ会談。クリントン長官も、「日本政府の対応を高く評価する」と語り、今後もこの問題で、日米韓が緊密に連携してゆくことが確認された。
並行して国内でも、菅総理は、全閣僚をメンバーとする「北朝鮮による砲撃事件対策本部」を設置。
総理:今回の北朝鮮の韓国に対する砲撃事件は、これは許しがたい蛮行だといわざるを得ません
その後も、情報連絡会議や関係閣僚会合などを連日開き、黄海での米韓合同演習が終わる12月1日までは不測の事態に備え全閣僚が原則として都内に待機するなど、政府は万全の態勢を取り続けて参ります。










