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08/15(月曜日)
世界に被爆体験を語り継ぐ、政府委嘱の「非核特使」。昨年の広島平和祈念式での挨拶で、菅総理が提唱して始まったこの制度は、1年で確かな成果を上げました。そして、報告会で特使たちが口々に語った、3月11日以降の海外の聴衆たちの質問とは―――

<8月6日 広島 平和祈念式>
アナウンス:間もなく8時15分になります。...黙祷。
<原爆が投下された、午前8時15分 「平和の鐘」が鳴らされる>
<黙祷を捧げる、総理>
<あいさつ>
総理:昨年、この式典で、私は《『非核特使』の派遣》を提唱しました。(非核特使に)世界各地で核兵器の悲惨さや、平和の大切さを発信していただきました。
被爆体験を世界に語り継ぐ、非核特使。
今までに、延べ35人が政府から委嘱を受けました。(8月8日現在)
<KAN-FULL TV 14話より――「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に向かう壷井進さん>
壷井さん:私の家が今の広島の平和公園の中にありました。その時にいた街の人は、全員が亡くなりました。
制度ができて1年。今回、広島・長崎で開かれた初めての報告会には、
地球一周証言の旅から戻った、壷井進さんの姿も...。
<8月6日 広島での報告会にて>
壷井さん:私たちは13の寄港地で、14回の証言を行いました。特にコロンビアではサントス大統領の歓迎、どこの会場も満員、熱心に耳を傾けていただきました。
報告会の場で、自作のDVDを手渡したのは、非核特使の田邊雅章さん。
原爆投下前の爆心地の風景を克明に映像で再現し、
《何が〝失われた〟のか》を世界に訴えています。
田邊さんは少年時代、今の原爆ドームの隣に住んでいました。
田邊さん:一被爆市民としては、なかなか成し得ない訴求や啓発も、(『非核特使』という)国のバックアップのお陰をもちまして、現地メディアの扱いも格別な対応でした。
<再び、KAN-FULL TV14話より――被ばく2世として初めて非核特使の委嘱を受けた、阪口博子さん>
阪口さん:《被ばく2世》というのは、親の身体を通して原爆放射線の影響を受けているわけですから、《被爆者と同様の思い》を持っております。
...と、地球一周証言の旅に出る当日、力説していた阪口博子さん。
実際に世界を回ってみて、こんな手応えを得たと言います。
<8月9日 長崎での報告会にて>
阪口さん:これから先、《被爆体験を引き継ぐ》という意味で、被ばく2世の存在がこれから、ますます大変重要になってくると思っております。
総理:世界の中で広島・長崎が語り継がれて、100年経っても1000年経っても、長崎以降(核兵器の被害)は無かったと言えるような世界にするという。ぜひご協力を、よろしくお願いいたしたいと思います。
<海外での証言風景>
非核特使が訪れた国は、これまで22カ国。(8月8日現在)
しかし、被爆の証言を聞く海外の人たちには、3月11日以降、ある変化が...。
<その変化について報告会で語る非核特使>
田崎昇さん:「日本は被爆国であり、放射能の恐ろしさを知っているのに...
壷井さん:...なぜたくさんの原発を?」という疑問が寄せられました。
阪口さん:非常に(海外の)皆さんが不思議に思われているということが、異様に私たちも《胸に応えました》。
日本を襲ったもう一つの放射能被害に対する海外の人たちの関心。
非核特使たちは揺さぶられました。
<8月9日 長崎 平和祈念式典>
<あいさつ>
総理:今回の事故を、人類にとっての《新たな教訓》と受けとめ、そこから学んだことを世界の人々や将来の世代に伝えていくことが、《我々の責務》であると考えています。
<原爆が投下された、午前11時2分>
アナウンス:黙祷
<黙祷を捧げる総理>
<「長崎の鐘」が鳴り響く>